DropsⅠ vol.3

ED後の話

カツカツ、と軍靴を響かせて、キムラスカ=ランバルディア王国の長い廊下を足早に歩いていたセシルの両脇には、真新しい資料が何冊も抱えられていた。
音素は減り、音機関がほとんど使えなくなってきている世情は不安視される危惧もあったが、それとは逆に新しい職種と雇用を生み出していた。
キムラスカ王国、マルクト帝国共に新たな産業の成長期に入り、戦を繰り返していたあの頃とはうって変わって、人々の表情は自信と希望と喜びの色を表していた。
そんな中でセシルは、減ってきた軍の仕事と平行して、レプリカ施設の建設及び運営の仕事に携わっていた。数も大分増えてきた施設では、新機関の材料製作工場や、元セントビナー住人によるグミ作成の下請け、エンゲーブ産の食品加工作業など、幅広い業種をく手掛けていたので、毎日それなりに忙しかった。
アスラン・フリングスのことを思い出して時々心を痛めることはあったが、昔のようにさめざめ、と泣いて暮らす日々は今のセシルにはもうない。
(前を向いて進まなければ。背筋を伸ばして生きなければ、自分に対しても彼に対しても恥ずかしいことこの上ないわ。)
そう思っている彼女は、昔以上に凛とした表情になっていた。
しかしある部屋の前まで来て、セシルはこの所拭えないでいる、ある不安に駆られていた。
“あの日”から昨日までずっと、職務に没頭してしまっているこの国の王女は、他に何も考えないようにしているかの如くに、隙間無く仕事のスケジュールを組むようにセシルに伝えてきていた。
(このままでは必ずお体を壊してしまわれる。今日こそは少々強引にでもお休みを取っていただくように仕向けなくては。)
キッ、と顔を引き締めると、セシルはこんこん、と目の前の扉を叩いた。
 


キムラスカ王国内における人口推移や国内各地における、産業・医療などについての現状を記した膨大な資料と、各担当大臣より定期的に提出される報告書類の山々に目を通していたナタリアは、
「ああ、セシル将軍。いつもの報告書は出来て?」
と挨拶もそこそこに仕事の話を切り出してきた。
「はい。ナタリア様。」
両脇に抱えた資料をナタリアに手渡すと、セシルは一息ついて切り出した。
「レプリカ施設の運営は大変順調です。ナタリア様御自らそう頻繁に目をお通しにならなくても、私共できちんと行っておりますから、ですから・・・」
「─何がおっしゃりたいの?」
セシルの言葉を遮るように聞き返すと、いつもとは違う、挑戦的な眼差しで、ナタリアは資料から顔をあげた。しかしそんな不躾な視線にぴくりともせず、冷静にセシルは続けた。
「ですから今日1日位、お休みをお取り下さいませ。一国の王女であるのなら、ご自身の身体を労わる、という事も大事になさって下さい。」
「・・・・・・。」
言いにくい事をきっぱりと言い放ったセシルの顔を、ナタリアは今度はとても疲れた顔をになってゆっくりと見返してきた。そして、ふ・・・と、どこか自虐的な笑みを漏らすと、
「・・・わたくし、そんなに無理をしておりますでしょうか。」
とセシルに問うてきた。
ええ、なさっていらっしゃいます、とセシルはすぐさま返し、あなた様のお仕事ぶりには、国民は皆、尊敬の眼差しを送っております、と言った。
ですが、と彼女は続けて、
「私から見ますと、姫様は御自分にはめた足枷がとてもきつ過ぎる様に思います。・・・少々抽象的過ぎますね。言い直します。そこまでご自分を追い詰めないで下さい。」
ナタリアは俯いている。
「ナタリア様がこの所お一人で、レプリカ完全同一体における、コンタミネーション現象とビッグバンについてお調べになっていらっしゃるのも、私は存じております。アッシュ様の事でお心を痛めておいでなのもよく解っているつもりです。でもそれならせめて、レプリカ施設の担当である私にも、一言ご相談頂けましたら良いですのに、とも思います。」
セシルは敢えて自分を“担当者”という単語で位置づけた。
“彼”に再会する前からナタリアを励まし続け、今ではナタリアの左腕のように信頼されているセシルであったが、その立場を恩着せがましく感じて欲しくない、という彼女なりの考えからきたものであった。

「・・・やはり将軍は気付いていらっしゃったのですね。」
ごめんなさい、とナタリアは素直に謝った。
そして彼女は、いくら親しくしているセシルと言えども、個人的な事で手を煩わす様なことはしたくなかったのと、出来れば自分の胸の内だけで原因の追究と結論付けとをしたかったからなのだ、と言った。
出来るだけ、早く。自分の感情を支えているものがぽきり、とある日突然折れてしまうような、不安な想像をかき消したいがために。
そんなナタリアの気持ちを察したのか、セシルは言った。
「でしたら私と共に、ベルケンド研究所のスピノザ博士の所へ参りましょう。施設の事で丁度相談もありましたので。過去の資料だけではわからない、最新の事例や仮説なども持ち合わせていらっしゃるかもしれないですし。」
「そう─ですわね。」
セシルのさりげない厚意に感謝しながら、ナタリアは別の事も考えていた。

実は何日か前に、グランコクマにいるジェイド・カーティス宛に送った手紙の返事を彼女は受け取っていたのだった。軍人であるということの他に、現在はレプリカ研究の第一人者の内の一人でもあるという肩書きを持つ彼なら、ナタリアに包み隠す事無く、完全同一体の最新研究情報について教えてくれると思ったからであった。
しかしジェイドから返ってきた手紙の内容は、
「確信できない内は、まだお話することはできません。」
といった、ある意味彼らしい、素気無いような、また率直であるような、そんな文面のみ、がしたためてあっただけだった。
「行きます、わたくし。ベルケンドへ。」
ナタリアはセシルに改めて返事をすると、心遣いをありがとう、感謝します、と小さく礼を言った。
「では都合がつき次第お誘いにあがりますので、本日はどうぞお休みになって下さいませ。」
と念を押して、セシルは部屋を出て行った。
長い廊下を来た時と同じ速さで戻りながら、セシルはようやくホッ、とした表情になっていた。
「ナタリア様の様子を、いつも以上に注意を払って見ていてやって欲しいと、内内にカーティス大佐に頼まれていたばかりでしたから。」

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